065037 ランダム
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ブラザー☆ビートへの道

ブラザー☆ビートへの道

判明までのこと

     3月某日
     妊娠検査薬を買ってトイレで陽性反応が出てから私の妊婦スイッチが入った。
     とにかく気持ち悪い、食べられない、で会社を休んで一日中寝ていた。
     唯一「午後の紅茶ミルク」だけが受けつけてくれて「カフェインって妊婦によくないのになぁ」と
     罪悪感を抱きながら飲みまくった。

     母子手帳の名前うんぬんもあり4月某日にスピード入籍?!した。
     舅に「これからは○○家になるのだからこの家のしきたりに」と言われ
     「し・しきたり?」と内心驚き、家に戻ったあとダンナ(まだ入籍してないけど)に
     「しきたりって何かある?」と聞くと「特にないけど・・・」
     びびって泣いてしまった。



     4月某日
     初めての健診へ。病院は迷った末、だんなの会社から近い総合病院にした。
     初めてなのでダンナも一緒に。というのも実は前々年に妊娠6週で流産したのもあり
     夫婦ともども不安だったのです。

     悲しい流産の記憶・・・
     恥ずかしながら出会って3ヶ月で妊娠。うれしかったものの経済的にも精神的にも
     子供だった私たちは戸惑い、悩み、おまけにその当時肉体労働してた私にとって
     体力的にも精神的にもかなりきついものでした。
     二回目の健診で「心臓の脈が見えない」と言われ1週間後の予約をして不安なまま帰宅。
     それから2~3日後、仕事中に何か冷たいものを感じ帰宅してからトイレにかけこむと出血。
     その後、すぐ病院へ・・・
     「流産してますね。今日処置されますか?」ショック(;_;)
     一応医師から染色体の異常などで赤ちゃんが育たなかった説明を受けるもの
     頭が真っ白で「流産」という事実を受け止められずそのまま帰宅。

     しかし翌日大量の出血、すぐに病院へ。
     しばらく横になり何も食べていないのでしばらくしたら手術ということになった。
     電話で連絡してた母と姑が到着。付き添いの部屋は男子禁制だったのでダンナは部屋の外。
     母の顔を見るなり「ごめんね」と泣いてしまった。
     手術はすぐすみ麻酔が切れたら帰れることになり大事をとって実家に戻る。

     仕事は無理を行ってやめさせてもらった。
     ダンナは毎日仕事帰りに実家により私の様子を見に通った。
     そしてもともと一時的のつもりだった仕事をやめて今現在働いてる会社へ転職。
     2週間後、また私は二人で住んでいる自宅へと帰った。
     うれしすぎて急いでもらった母子手帳や育児雑誌は見るのが辛いので見えない所へ
     しまってもらった。



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